【Vol.246】知って得する、ちょっと差がつく トリビア・コーナー

トリビア研究家 末崎 孝幸

1945年生まれ。1968年一橋大学商学部卒業、同年日興證券入社。調査部門、資産運用部門などを経て、日興アセットマネジメント執行役員(調査本部長)を務める。2004年に退職。Facebook上での氏のトリビア投稿は好評を博している。

Mr.Suezaki
末崎 孝幸

唱歌「春の小川」はどこの川か

「♪♪春の小川」は1912年(大正元年)に発表された文部省唱歌であり、現在まで110年以上にわたって歌い継がれている。この歌の作詞者は国文学者・作詞家の高野辰之であることから、彼の出身地である長野県の川が舞台と思われがちだがそうではない。
 この歌を作詞した当時、高野は今の渋谷区代々木に住んでおり、近くには河骨川という小さな川が流れていた(河骨(こうほね)とは小川に自生するスイレン科の多年草)。当時の代々木は東京府豊多摩郡代々幡村といって、のどかな村だった。
 河骨川は1964年(昭和39年)に暗渠化されてしまったが、小田急線代々木八幡駅に近い線路沿いに歌碑が建てられている。

小原の小川2

(追記)
1.高野辰之は、「春の小川」のほか、「故郷(ふるさと)」「春がきた」「朧月夜」「もみじ」などの唱歌を作詞している
2.写真は代々木八幡駅近くの線路沿いにある「春の小川」歌碑の解説板

北帰行と宇田博

昭和15年3月、関東州旅順に旅順高等学校(旧制)が設立された。少年期を満洲ですごした宇田博は、開校したばかりの旅順高校に入学したものの、16年5月女の子とデートして教官に見つかり「性行不良」で退学処分になった。

彼が同校への決別の歌として友人に遺した歌が「北帰行」である。同校の正式の寮歌ではないものの、広義の寮歌として歌われていた。その後宇田は内地に戻って旧制一高を卒業、東京大学を経て東京放送(TBS)に入社、常務取締役・監査役を歴任している。

「北帰行」は戦後歌声喫茶で歌われるようになり、昭和36年小林旭が歌ってヒット、昭和37年には小林旭、浅丘ルリ子の共演で「北帰行より 渡り鳥北へ帰る」として映画化された。

疾風に勁草(けいそう)を知る

中国の歴史書、後漢書の中に「疾風に勁草を知る」という言葉がある。疾風とは「急に強く吹く風」、勁草とは「強い草」のこと。これは後漢の初代皇帝、光武帝が王覇に述べた言葉。

「河南の地で兵を挙げ進行していく中で、激戦、苦難を経てここまで辿り着いたのはお前一人だけだな」、光武帝はこうした状況においてこの言葉を述べた。

激しい風が吹いて初めて強い草が見分けられることから、困難に直面したときに、はじめてその人の本当の意志の強さや人間としての値打ちが分かるという意味である。

利休鼠

利休鼠

関東地方は梅雨のような天気が続いている。「雨・・・」といえば思い出す歌がある。♪♪雨はふるふる 城ヶ島の磯に 利休鼠の 雨がふる♪♪・・・ 北原白秋作詞、梁田貞作曲の「城ヶ島の雨」だ。子供のころは、「利休鼠」の意味が判らなくて・・・そのままになっていた。

後に辞書を引く習慣が身についてから「緑色を帯びた灰色」という意味を知ることになった言葉である。

(追記)歌詞では「りきゅうねずみ」となっているが、正式には「りきゅうねず」と読む。

グーグル(Google)の由来

 グーグルの社名は10の100乗を意味するgoogol(グーゴル)に由来している。 World Wide Web上の膨大な情報の組織化が会社の使命を意図している、との考え方だ。

 「Googol」ではなく「Google」になったのは、1997年に創業者のラリー・ペイジたちが新しい検索エンジンの名前を考えてドメイン名として登録した際、本来は「googol.com」とすべきところを「google.com」と綴りまちがえたのがその起源と言われている。


ご好評をいただいていたトリビア・コーナーは今回が最終回です。長年にわたりご寄稿いただいた末崎 孝幸様に深く感謝申し上げます。