【Vol.228】知って得する、ちょっと差がつく トリビア・コーナー

トリビア研究家 末崎 孝幸

末崎 孝幸氏

1945 年生まれ。1968 年一橋大学商学部卒業、同年日興證券入社。調査部門、資産運用部門などを経て、日興アセットマネジメント執行役員(調査本部長)を務める。2004 年に退職。Facebook 上での氏のトリビア投稿は好評を博している。

シカト(の語源)

【Vol.228】知って得する、ちょっと差がつく トリビア・コーナー

そっぽを向くこと、無視することを「シカト」というが、その語源となったのは花札で、十月の札「紅葉に鹿」である。十月の鹿ということで、「鹿の十」とも呼ばれた。

花札の絵柄の鹿が横を向いていることから、この「鹿の十」という語が「無視する」意につながり、のちに、「鹿の十」(しかのとお)→「鹿十」(しかとお)→「シカト」と変化していったのである(当初は博徒の間で「無視」の隠語として使われていたようだ)。

なぜ横浜に中華街があるのか

横浜中華街はもともと欧米人の居住区だった。これは 1858 年(安政 5 年)に日米修好通商条約が締結されたことに由来する。この通商条約には「神奈川」を含む 5 港を開港することが定められており、これが横浜に外国人が多く住むきっかけとなった。当時の「横浜村」には、短期間で外国人居留地や波止場、税関などが整備され、国際港としての体裁が整えられた。そして、1859 年(安政 6 年)に「横浜港」が開港し、諸外国との貿易が開始された。そんな中で、欧米人の居住地区であった場所に中国人が増えたのは、欧米人が「通訳」として中国人を呼んだためである。

その当時、英語が話せる日本人は少なかった。西洋との関わりは日本よりも中国の方が早く、英語など欧米の言葉が話せて欧米人とコミュニケーションがとれる中国人が多かった。また、中国人は日本語が話せなくても漢字を書くことで、日本人とある程度のコミュニケーションがとれた。そのため、欧米人と日本人の間に入る存在として一番適していた。
その後、外国人居住区の欧米人は減少し、一方で通訳や商人として横浜に来た中国人は増加し、現在の「横浜中華街」が誕生したのである。

赤玉ポートワイン伝説のポスターとそのご本人

【Vol.228】知って得する、ちょっと差がつく トリビア・コーナー

1922 年(大正 11 年)、当時の壽屋(現在のサントリー)の伝説のポスターが発表され、そのモデルは歌劇女優の松島栄美子さんだった。日本で初のヌードモデルとされている人物だ。撮影者は当時広告界の鬼才といわれた片岡敏郎、初めてのポスターにヌード写真を取り入れ、多くの話題をよんだ。松島栄美子さんはスタジオに 6 日間もカン詰めになり、60 枚もの写真を撮られたという。

写真は 1983 年 3 月に撮影されたもの。松島さんはこの時 90歳、翌月亡くなられた。

京都には金閣寺、銀閣寺のほかに「銅閣寺」もある

1587 年(天正 15 年)に織田信長、信忠親子の菩提を弔うために正親町(おうぎまち)天皇の勅命により建てられた大雲院という寺院がある。大雲寺の名称は織田信忠の戒名「大雲院殿三品羽林仙巌大居士」から取られた。通称「銅閣寺」と呼ばれている。

創建当初の銅閣寺は御池御所(現在の烏丸二条)にあり、その後豊臣秀吉の手により寺町四条へと移転。そして昭和 48 年に現在の祇園・東山界隈の位置に移転したが、実は最後に移転したこの場所はある人物の別荘地だった。

その人物こそ一代で巨万の富を築き、大成建設の創始者で、鹿鳴館、帝国ホテル、帝国劇場などを建設した大倉喜八郎だ。現在の銅閣寺は大倉喜八郎氏の別邸の一部だったのである。

皇居ランニングのきっかけ

皇居の周り約 5km のコースをランニングすることを「皇居ランニング」または「皇居ラン」と呼んでいる。このコースはアクセスが良く、オフィス街から近いことからランナーに人気があり、多くの人が走っている。そんな「皇居ラン」が流行ったきっかけは「銀座のホステス」だった。
元々のきっかけは昭和 39 年の東京オリンピック。エチオピアのアベベ・ビキラ選手がオリンピック史上初めて 2 連覇するなど大いに盛り上がり、ランニングブームが起こった。そのブームにより走り始めたのが銀座のホステスたちだった。
皇居と銀座は近く、銀座には多くのホステスが働いている。そんなホステスたちが参加したのが「皇居一周マラソン」だった。大会の主催者は銀座のクラブやバーの経営者。
昭和 39 年 11 月、約 40 人ものホステスが参加したこの大会は珍しかったこともあり、大々的にニュースで扱われた。これにより皇居の周りを走れることが一般の人に伝わった。そして、皇居の周りは信号もなく、とても走りやすいコースということで「皇居ラン」はブームとなり、現在まで長く続いている。
(追記)当時開催された銀座ホステスの優勝タイムは 23 分台だったとか。5kmを 23 分だと時速13kmになる。