【Vol.228】FIWAマンスリー・セミナー講演より フリー・ディスカッション

三和 裕美子氏、太田 達也氏、岡本 和久
ご参加のみなさま
レポーター:赤堀 薫里

参加者|米国の長期株価指数は、物価上昇を勘案して物価上昇の影響を差し引くと、実質平均リターンがどれくらいかというのがなされている。投資家からみても、それがまさに興味がある数字です。
その辺りは今後の研究になるのか。また米国の例でいうと安全資産としての国債リターンと比べて株式のリターンが平均何%上回っているのかを出されていますが、その辺りも今後の研究方針とされるのかどうか教えてください。

三和|通期のものができた段階で、『インフレを加味した指数も必要ね』と話をしていたところです。インフレ率や、国債については短期の政策金利を平山さんが比較をされていますので、それに基づいてその次の課題として考えています。

岡本|これは次のテーマとして当然出てきます。ただ一度に出してしまうと作業の大きさに怖じ気づいてしまうかもしれない(笑)。ただすごく重要なことですね。
イボットソンでも、短期の金利だとか、国債金利、インフレ率を修正してやっていらっしゃいますよね。

山口|リスクプレミアムを計算する上で、どうしても必要な部分です。今回のご発表は本当にすごいと思います。多分これは国際的にも発表する価値があると思います。
イボットソンも、イェール大学の古文書図書館に毎年 MBA の学生を派遣して、太田さんと同じように昔の新聞を破けないようにそっとめくってデータを集めて、1800 年の前半までやり続けて論文になっています。それを共著したのがイボットソンと彼の弟子。今はイェール大学の教授になっています。
戦前を配当込みにするとリターンがだいぶ高くなりましたよね。あれは要するに、日本はエマージング・マーケットだったということでしょう。だからハイリスク・ハイリターンでした。それは戦後の時期をみても、戦後日本が立ち上がってくる。一回ポシャってから、上がるところだからすごいリターンが出てきます。だから妥当だなという気がします。戦後との接続ですが、戦後のデータは証券経済研究所のデータを私も使わせていただいていますが、あれとは別のやり方で作るのでしょうか?あれはあれで配当込みにかなり近い状態になっています。

三和|証券経済研究所の収益率。戦後部分についてはあれを使うという手もありますね。

山口|あれは 1952 年からで、配当込み TOPIX とほぼ同じ状態になります。配当込み TOPIXは 89 年 1 月以降しかデータが出ていません。しかし、あの系列と 88 年 12 月までの系列と、そのあとの配当込み TOPIX をくっつけるとほぼ OK。うちの会社はその系列を繋げて出しています。たぶんもう一度作り直すこともないのかなとちょっと思います。

三和|貴重なアドバイスをありがとうごいます。そのようにできたら嬉しいと思います。

山口|残念ながら東証の方の配当込み TOPIX にほぼ繋がるだろうということなんですが、完全に同じかというと同じではないのかもしれない。ちょっと疑問があります。

岡本|私が持っている配当込みの TOPIX は、1973 年 1 月からです。それで 48 年 7 ヶ月です。配当なしは年率で今日まで見ると 3.4%。配当込みで見ると 4.9%。すごく大きな違いがあります。ただ以前はそんなに大きな違いはない。最近になって配当のインパクトがすごく大きくなっています。明治維新、ついこの間までちょんまげをつけていた人たちのところで生まれた株式取引所の指数ということで考えると、戦争でとにかくアメリカの前に立ち向かっていったという意味では、それは相当リターンがあっても良いのではないかと思いますね。リスクは高いでしょうけどね。本当にエマージング・マーケットだったんだなと強く感じますね。

板谷|米国株式も戦前は国債利回りよりも株式配当利回りの方が高かった時代があったと思います。エマージングの考え方もそうだなとも思います。国債と株式の関係が、株式に対して高いリターンを求めていた時代があったのではないのかと思います。

岡本|日本では、配当利回り革命があったなというのが 60 年代中頃くらいからです。

板谷|そうですね。債券利回りと配当利回りがひっくり返ったのが。

山口|米国も配当利回りが高かった時代がありました。ロジャー・イボットソンに『なんでそうなの?』と聞いたところ、昔の投資家は将来のことまで見通していなくて、早くリターンをよこせと、せっかちで儲かった分はすぐもらいたいみたいなことだったようです。利回り革命が起きて、将来に対する成長みたいなものは織り込み、配当は今もらわなくても株価が上がればいいやと思うようになった。グロース・ストックの概念が浸透したからだということを言っていました。

板谷|それも説得力ありますね。

岡本|過去のそんな古いものを研究してもしょうがないじゃないという意見も随分あったようです。例えば上山さんがご覧になって現代的な価値というものはどのようにお考えですか。

上山|リスクを計算するうえで一貫して連結したデータがないと、その国の証券市場、株式市場の動きや生成がわかりにくいと思いますのでこの研究の価値はあると思います。数字が並んでいて、推理小説のような謎を解いていく面白さがあると思います。学問的な面白さがあるのではないかと感じました。

岡本|数字の中にいろいろなモノが埋まっています。その時々の人々の生活や心情とかそういうモノは、今のマーケットを見る時も非常に参考になると思います。

上山|数字を見てストーリーを作れますしね。それを見て議論するのが学問としての面白さというのはあると思います。

岡本|すごく長い間をみると、株価はちゃんと上がっています。ただ、戦争が終わってから再開されるまでのところでどれくらい変化しているのかというのが一番興味ありますよね。為替で言えば開戦の頃は 1 ドル 4 円ぐらいでしたかね。それが最終的には 360 円に決まったわけだから。それがどの程度、株価ではギャップが生まれたのか面白いところですよね。

原田|戦前の株主とはどんな人たちだったのですか?

太田|戦前期の株主層は、過半数が個人投資家でした。株式会社を設立するさいに取締役を構成するわけですが、その取締役は株主が担っていたということもあり、資本を充填するときに取締役になって、その会社の株式を多くの取締役が持っていたということもあります。株式の分散度でいえば、一部が多く持っていたということがあると思います。一方で機関投資家も存在していました。多くが保険会社や銀行でしたが、だいたい 1 割程度を持っていたということですから、今回作成した株価指数を長期的に見ていくことが重要なことだと思います。

原田|戦前から持合いがありましたよね。今は持合い解消となってきていますが。戦前の日本の株式市場においては、企業グループにおける持合いというのがありましたよね。

太田|そうですね。財閥を中心としてそういったものがありました。

原田|浮動株は少なかったのですか?

岡本|銀行経由が多かったのではないでしょうか。基幹銀行としてそれぞれの銀行が財閥グループの中にあって、それが全体をある程度を支配して資金を供給しているというイメージがあります。

三和|その辺も、今後研究がどんどん発展していきますが、昭和初期と大正期では全然違います。大正期は宮内庁が筆頭株主として出てきます。すごく面白いです。明治期の企業だと取締役が大株主の関連の人で、取締役は非常勤です。今は社外取締役だけど、明治時代の取締役は定期的に変わっていく、非常勤の社外取締役みたいな人たちのようです。そうすると短期的な配当をもらってというのは少し理解できるなと。儲かった分は配当としてもらって去っていくというところがあったのかなということが推察できます。明治期、大正期、昭和戦前期、戦後期と、株主構造にはいろいろな特色があって、ガバナンス研究がどんどん発展していくのではないのかなと思い、非常に面白で
す。

岡本|今日はありがとうございました。この指数が一気通貫の指数になった時に改めてご報告したいと思います。ご支援のほどよろしくお願いいたします。