【Vol.242】FIWAマンスリー・セミナ講演より(講演1)

江戸時代の大阪堂島米相場と行動ファイナンス

講演:早稲田大学ビジネススクール (大学院経営管理研究科)
教授 山口 勝業(やまぐち・かつなり)氏
レポーター:赤堀 薫里

山口 勝業氏プロフィール

Yamaguchi

一橋大学社会学部卒業、Yale School of Management(経営学修士)、専修大学大学院経済学研究科(博士)、日本長期信用銀行系列の日米の投資顧問子会社でポートフォリオ・マネジャーを歴任。イボットソン・アソシエイツ・ジャパン株式会社を創立し社長・会長を務め、この間、専修大学大学院客員教授、一橋大学ビジネススクール非常勤講師を兼務。行動経済学会の理事・顧問、日本ファイナンス学会の理事、日本CFA協会理事、日本証券アナリスト協会の試験委員を歴任。

早稲田大学大学院経営管理研究科では、主に金融機関に勤める社会人大学生を対象に「行動ファイナンス(市場に参加する人間の心理面が投資行動にどう影響するのかに注目した理論)」と「職業倫理」を教えている。『アセットマネジメントの世界 第2版:新たな社会的使命と実践』を分担執筆。


現在通用している金融理論や、ファイナンス理論が、この米相場にも当てはまるのだろうか?果たしてこれは、一般理論と言えるのか?現代の疑問から、昔に遡って検証してみました。

ポートフォリオ理論は、そもそも1952年あたりから始まり、70年ぐらいの歴史しかありません。加えて行動ファイナンスは1980年ぐらいからだんだん流行り始めたので、40年ぐらいの歴史しかない。そういうものをもって理論だと言っていいのか。欧米で研究された経済理論を、日本の江戸時代という、時代も場所も全然違うところに移して考えてみました。

主に研究したのは江戸時代の米相場です。お米は江戸時代では主食でもあり、武士がお米を給料としてもらっていた時代です。大名がまず、農民からお米を年貢として取り立てて、売り払い、キャッシュに変える。それで大名は、いろいろな費用を賄った。また、お米を御家人に配って給料として与える。すると、給料をもらった御家人は、それを米相場で換金して、現金に買えます。つまり、米相場の値段が上がったり下がったりすることは、非常に死活問題でした。

大名にとっても、武士にとっても、値段が上がれば嬉しいけど、下がると大変になります。でも、一般の消費者は、それをそのまま使います。お米は、食べるだけではなくて、例えばお酒やお煎餅の原料になったり、いろいろな使い道があるわけです。だから極端な話、江戸時代には今みたいにGDPという経済指標はありませんでしたが、ざっくり考えるとお米がGDPの代わりとして使えるということもあります。

また、お米の値段は、いわゆる消費者物価の代表格みたいなものでした。お米の値段がどのように変わってきたか。実は徳川時代の1600年代の初めから、明治維新が始まるまでの動きを、いろんな文献にあたって一生懸命調べましたが、一貫したデータがない。お米の値段は、徳川政権が成立してから50年ぐらいまではだんだん上がっていき、そこからほぼ横ばいですが、時々ものすごく高騰する場面があります。これは、時々起こった飢饉による高騰でした。

お米の相場はどこで決まっているのか。市場は各地にありましたが、1番主要な市場は大阪です。大阪の真ん中にある堂島の米会所で主に取引されていました。

道端で取引していたのが当時の状況だったようです。そもそもなぜ、堂島で取引が発生したかというと、今の淀屋橋に、淀屋さんいう米商人がいて、その淀屋の店先で自然発生的に取引が始まったと言われています。


初めは、1700年代の初めです。将軍が徳川吉宗だった時に、先物取引を幕府が認めました。先物取引が一箇所で集中的に、ルールを決めて組織的に行われたことは、この大阪の堂島が世界で初めてです。先物だけでなく、直物というか、お米そのもの、つまり現物のお米を取引することもありました。

幕府から免許をもらい、登録されていた仲買人は1351軒あったと言われています。現物を正米と言いますが、このうち正米方という現物だけ扱えるのは451軒。帳合米とは先物取引のことですが、帳合米をやっている人が900軒。圧倒的に取引参加者の数は、先物取引の方が多い。現物の正米の取引時間は、大体午前10時からお昼までの2時間でした。それに比べて先物は、朝の8時頃から午後の2時頃までと、圧倒的に先物取引の方が時間も長いし、参加者も多かった。


取引金額は、もちろん現物米の方は、そこにある現物米を相手にやりますけど、帳合米のほうは、現物があろうとなかろうと先物で取引をするわけなので、あまり現物の在庫に囚われないでやることができます。しかも、差金決済をして最後売り買いの帳尻を合わせて、精算をしました。堂島のお米の値段は、主に先物でまず決まっていたということがわかります。

講演の最後に『最初の米相場自体はかなり効率的で、時々説明できないようなリターンも出てくるわけですが、一応、ケインズが理論的に予想した通りに、江戸時代の日本では、在庫コスト仮説とリスク・プレミアム仮説という理論的な様相に近いような、価格形成はなされたということで、非常に情報は効率的に伝達されていた。その中で活躍した本間宗久さんの、今の行動ファイナンスで通じるような遺言がいろいろ見られて、非常に面白い。このように現代で通用している議論や、そういう現代の行動ファイナンスの話は、実はあの江戸時代の大阪でも当てはまるということが大体確認できた』と結ばれました。

(文責 FIWA)


岡本|非常に面白いお話でした。やはり『一般理論はどうなのかな?』と感じます。ただ、米相場、堂島の場合には、あくまで売買による取引が中心で、資本市場が持っている基本的な機能の長期安定資金の調達という部分は、抜け落ちているように思います。それが明治時代に入って株式取引所ができて以来、ほとんど長期清算取引ばかりで、資金調達は、むしろ財閥や銀行がやっていたみたいな形が、江戸から明治にかけても継承されているのではないのかなと思いました。ただ、長期安定資金の調達がないということは、要するに資本コストの概念が、株式市場と関係なく形成されていた。そこのところは他の国の市場との違いがあるのではないでしょうか。

山口|そうですね。おっしゃるとおり、お米は資産の中でも流動資産で、食料になってしまうので、そこから何かリターンが出てくるわけではない。それを売買するというのが、米相場の特徴です。コモディティー理論で、原油の使用と非常に似ていると思います。いずれ使ってしまうような資源を売買している、いわゆる長期の資本とはちょっと違う状態です。売買して儲けるということが根強く残ってしまい、今でも投資というのは株式を売買して、安く買って高く売る、ネットトレーダーのような人たちがいるので、そうなってしまっているのかなというのも、岡本さんのご指摘の通りだと思います。 

岡本|確かにそういう傾向はあるし、今でもそういう影響は出ていると思います。一般理論という話に関連して、いつでも全世界どこでも共通の理論というのは、あるのかないのかよくわかりませんが、作ろうとはしてきたのでしょう。今まで証券市場というものを分析してきて、それも山口さんご指摘のように短い期間だった。その前というのはほとんど投機の世界です。アービトラージみたいなことがあったでしょう。そういう意味では一般理論化というのは、あと100年か200年経つとこれが一般理論だったのかということになるのかもしれません。

ただ私が最近思うのは、各国民が持っている性格みたいなものが大きな影響をもって市場を形作っている。日本の場合、和の精神とよく言われますが、和というのは、「加えていく」という意味と「調和する」という意味がある。これは分散で投資対象を加えていき、それが調和したポートフォリオになるようにするという意味もある。また、江戸時代に言われた永代という言葉は、時間に制約がなく、ずっと持っていていい。また、もったいないという、無駄なコストを使わない。これは江戸の中期以降になりますが、二宮尊徳は、小を積んで大を為すという積小為大を言っています。

そういうものは、今の投資に向いているのではないのかという気がします。アジア的感性というものがアジア人にもあって、全世界共通ではないにしても、少なくてもアジア的な新しい投資理論的なものが何かできてもいいのではないのか。西洋的なものとはだいぶ違った部分があると思います。国民性と投資行動というものは面白いのではないかと思います。  

山口|私もそう思います。経済学の一般理論を作ることはなかなか難しいと思います。研究されるのが主に欧米であると、どうしても欧米のペースになってしまいます。それをいきなり日本に持ってくることは難しいでしょう。私は今、行動ファイナンスをやっていますけど、人間の本来持っている心理みたいなものは生物学的にみてもあまり変わりないのではないのか。怖いものは怖い(笑)ただそれも国によって、経験した歴史や、個人の歴史的な経験によって違いがあります。ベースになるのは、アメリカ等の研究ですが、『それって本当に日本でも当てはまるの?』ということを、行動ファイナンスの講義やゼミを持っているので、学生にいろいろ比較研究をしてもらっています。私の結論としては、どこの人間でも変わりないものもあるし、ベースとしては生物学的資質として怖い動物を見たら逃げるというようなものは、どこの世界でも同じだけど、そうではないものというのは、その国の歴史や文化、宗教の影響もあると思います

岡本|やはり共通しているのは『欲望と恐怖』ですよね。本当にそう思います。

参加者|「FIWAのつみたてインディくん」ができた経緯を教えてください。今日のシミュレーションを拝見してすごいなと思いました。また開発期間がどれくらいだったのか、お伺いしたいです。

竹中|インディくんの開発担当者としてお話をします。もともと私のアイデアです。まずプロトタイプ版を昨年夏、作ろうと思った経緯は、単純に株価指数に連動した積立投資をすると、10年、20年、30年でこんなに大きな成果が出る。私自身の過去長い期間、講演会等で著作の中で出してきましたが、都度計算するのが結構面倒くさい。これはデータにつながったサイト上で好きな期間、好きな指数で作ってしまったら、楽ではないのか。これぐらいであれば、大きな金額でなくてもできるだろうと思いついたのが、昨年の8月です。

リリースしたのが12月。計算のロジック自体は僕自身が組み立てていますが、それをパソコン上で走るような、オンラインでデータを取れるようなものは開発委託して、プロトタイプ版ができた。プロトタイプ版をFIWA®のサイトでご覧いただいて、岡本さんにも「これはなかなかいいね」と、言っていただけたので、本格版として、株価指数の数も20種類に増やして、組み合わせによって最小のリスクポートフォリオ、あるいは、シャープレシオが一番高いポートフォリオも出せるようにしました。さらに過去のリスクとリターンに基づいて、将来のシミュレーションもできるようにしよう。

また、将来に向けて積立をしているだけではなく、団塊の世代で、取崩しに入ったような人たちも増えています。今、団塊の世代といっても70代半ばくらいですからね。その人たちのニーズに合うように、そこで投資をやめてしまうのではなくて、ある程度投資を継続しながら取り崩していった方が自分の資産の寿命が延びるということをわかってもらいたい。

積立NISAが出て以来、そのお客を取り込むために、いろいろな金融機関や証券会社がサイト上にシミュレーションを出しています。でもそれは皆リスクとリターンを入れると複利で上がっていくグラフが描かれているだけで、実際の過去のデータでやると、どれくらいのリスクとリターンになるのか。また、一般の人は年率のリスクと年率のリタ―ンで言われてもピンとこないですよね。

だからそれをグラフにしてビジュアルにします。例えば過去20年やった場合、リーマンショックのようなことがあれば元本割れまでストンと落ちます。どれくらい元本割れしたのか、ということも全部わかるようにして、途中経過のリスクも起こりうるということも踏まえて、積立NISAをやっていただきたいという思いで今に至っています。本当にFIWA®のご支援をいただいて、クラウドファンディングをすることによって475万円集まり、開発資金が出ました。本当によかったですけど、逆にデータ量だけでモーニングスターに88万円支払っています。でもS&Pだともっと高く、1万ドルをはるかに超えてしまいます。新規の方を50人100人200人と増やしていかないと、維持費が出ないものですから、是非、新規の登録の方を増やしていただきたい。

岡本|積立でいくということは、20年やっていても、トータルの資金においての平均年限は10年であるということですよね。だんだん増えていますから。20年ずっと持っているわけではなくて、最初の10万円はずっと20年だけど最後の10万円は1か月。そうすると間をとって、本当に保有しているのは10年だということですよね。そこは知っておいた方がいいのかなと思います。  

竹中|長期積立投資の極意は、セットして忘れておくことです。タイムカプセルのように20年間ふたを開けないこと、これが一番いいですね。

岡本|「Buy and  Forget」、あまり目先の取引、売買で小さく儲けようとしないで。短期でやる人は本当に欲のない人だと思います。欲張りは長期投資でやりますから。今日もありがとうございました。皆さん、インディくんをかわいがってやってください。

(文責 FIWA)