【Vol.237】知って得する、ちょっと差がつく トリビア・コーナー

トリビア研究家 末崎 孝幸

末崎 孝幸氏

1945年生まれ。1968年一橋大学商学部卒業、同年日興證券入社。調査部門、資産運用部門などを経て、日興アセットマネジメント執行役員(調査本部長)を務める。2004年に退職。Facebook上での氏のトリビア投稿は好評を博している

がま口(の由来)

 金属製の口金を持つ布袋状の財布を「がま口」と言うが、これはガマガエルのように大きく開く「口」(開口部)を持つためである。
がま口は日本独自のものという印象があるかもしれないが、実は明治期に日本にやってきた舶来品だ。明治政府の御用商人だった山城屋和助は、明治4年兵器を輸入して陸海軍に納入する条件で、政府から借金をして欧州に渡った。その時に、当時のフランスで流行していた西洋式のがま口の鞄や財布を持ち帰り、それらを模倣して売り出した。これが日本でのがま口の始まりといわれている。

総スカン(の由来)

 皆から嫌われること、また、誰からも同意が得られずに孤立することを「総スカン」という。この言葉、カタカナで書かれることが多いため、その語源が分かりにくくなっているが、実は、すべてを意味する「総」と、好きではないという意味の関西の方言「好かん」が合わさってできたものだ。
「総スカン」は、昭和になってから、関西中心に使われるようになった比較的新しい言葉である。

なぜ「中国地方」と呼ぶのか

平安時代、政治の中心は京都にあった。 そのため、この周辺を「畿内」と呼び(「畿」はみやこ、天皇の直轄地という意味)、菅原道真が左遷された太宰府(外国との交渉の窓口となる役所があった)のある地方を「遠の都」と言っていた。
つまり、「畿内」と「遠の都」の中間にある地方という意味で「中国地方」というようになったのである。
現在の中華人民共和国は「中心の国」の意で「中国」と呼んでいるが、わが国の中国は「中間の国」という意味である。

初恋(若菜集)

初恋

中学生の頃、島崎藤村の詩「初恋」を読んだときの胸の高鳴りはいまだに忘れることができない。藤村の詩集「若菜集」を教科書の間に挟んで学校に持っていき、休み時間に読んでいたのはもう60年以上昔のことだ。

まだあげ初めし前髪の/林檎のもとに見えしとき/前にさしたる花櫛の/花ある君と思ひけり・・・

現在、大学1年生の孫娘に「中学生のころの愛読書は?」と訊くと、返ってきた応えは「ハリーポッター」。隔世の感がある。

斉唱

斉唱

 洋画家・小磯良平の代表作に「斉唱というのがある。モノトーンの静謐な画面、裸足で制服姿の9人の女学生がひたむきに歌っているのは賛美歌だろうか(小磯はクリスチャンだった)。

 描かれたのは太平洋戦争開戦直前の昭和16年。実はこの頃、小磯は従軍画家として戦争記録画を手がけていた。「斉唱」にはやむを得ず軍に協力したことへのあがないの気持ちが込められ、平和を待ち望む祈りが込められていると言われてきた。

 また、この絵は三浦綾子著「銃口」のカバー絵としても採用された。20数年ほど前に読んだ時、他の三浦作品のものとはまったく異なるカバー絵だっただけに強く印象に残っている。
追記・・・この絵の女学生は神戸松陰女子学院といわれている