【Vol.234】知って得する、ちょっと差がつく トリビア・コーナー

トリビア研究家 末崎 孝幸

末崎 孝幸氏

1945年生まれ。1968年一橋大学商学部卒業、同年日興證券入社。調査部門、資産運用部門などを経て、日興アセットマネジメント執行役員(調査本部長)を務める。2004年に退職。Facebook上での氏のトリビア投稿は好評を博している。

(彼女ほどの)秀才? 才媛?

 中国では、隋から清代まで行われた科挙という資格試験があった。唐代には主要科目の一つに秀才科があり、秀才はその受験資格の持ち主や試験合格者をさす言葉だった。

 日本で「秀才」という言葉が初めて登場したのは奈良時代のこと。最高学府ともいえる大学寮の主要科目の一つは文章道だった。その文章道の首席と次席を「秀才」と呼んでいた。その当時、大学寮に入ることができたのは男性だけ。そこから意味が広がり、頭のいい男性のことを「秀才」というようになったのである。

 女性の場合は、どんなに頭が良くても「秀才」とはいわない。その代わり、女性には「才媛」という相応しい言葉がある。

郡山市に「日本一」という地名があ

日本一

郡山市湖南町にある日本一観音堂の地の字名は「日本一」と云う。 江戸期に、この地は二本松藩領で、会津藩との藩境に位置していた。

あるとき、二本松藩の殿様が、この地で採れた米を食べたところ、「この米は日本一うまい」と大変喜び、この地に「日本一」の地名を与えたと云う。

大喜利

 大喜利は、本来歌舞伎の「大切り」(一日の興業の最終幕最後の場面)に由来する言葉である。江戸時代、歌舞伎の脚本が一番目(時代物)と二番目(世話物)の2部で構成されており、一番目の最後の幕のことを「大詰め」といい、二番目の最後の幕を「大切り」といった。この「大切り」から当て字を使い「大喜利」とし、寄席における最後の演目を意味するようになった。大喜利は客も喜び、演者も利を得るという意味の当て字だ。 

 「笑点」での大喜利が定着したため、テレビで行われる「大喜利」は、司会者の出題に対して、ひねりを効かせて答えるという言葉遊びゲームを指すことが多いが、本来こうしたものは、様々な大喜利のうち「とんち」と呼ばれるものである。 

摩周湖は大きな水たまり?

摩周湖

 日本一の透明度を誇る摩周湖、実は河川とのつながりがないことから、法律上、国土交通省が管轄する「湖」ではない。湖に浮かぶ島には樹木があるため農林水産省の管理下におかれるものの、湖には樹木が存在しないため農林水産省の管轄でもない。そのため摩周湖は国有財産として管理される不動産に大量に蓄積した水、つまり法的には「水たまり」として認識されている。

 しかし、法的根拠がないだけであり、一般的には「湖」であり、世界ではバイカル湖についで2番目に透明度の高い湖として認識して何ら問題はない。

閑話休題(誤用されやすい四字熟語)

 「ここからは余談ですが」という意味で「閑話休題」という言葉を使う例が小説や論文で散見される。しかし、この言葉は、脇道に入る時に使うのではなく、脇道から本筋に話題を戻す時に用いる接続詞的な言葉である。

 「閑話」は「無駄な話」。「休題」とは「それまでの話題を中止すること」。すなわち、これまでの余計な話から本題に戻る時に使う言葉である。「それはさておき」という意味で使う。

学校の校庭にはなぜ桜が植えられているのか?

 明治政府は教育政策の基礎を国学に求めた。そのために、江戸時代の国学者・本居宣長が詠んだ「敷島の大和心を人問はば 朝日ににほふ山桜花」という歌が広く親しまれるようになった。そして、桜は日本精神をあらわす花になったのである。

 そこに目をつけたのが軍部。パッと咲いてパッと散る桜は、いさぎよく散る軍人のイメージと重ねあわされ、日本軍人の象徴となった。こうして各地の陸軍兵舎に桜が植えられたのである。

 また、日清・日露戦争の勝利によって軍部が力を持つようになると、子供たちにも桜を通して軍人精神が教え込まれるようになった。こうして桜は、学校の校庭にも植えられるようになったのである。