【Vol.276】今月のひとこと

外資系運用会社で私が学んだこと(2)
先月号の続きです。サンフランシスコ本社で役員と面談をするほど合理的な資産運用の本質が見えてきた気がしました。そして転職を決意したのです。
「よし、日本で年金運用革命を起してやろう」という気持がムラムラと湧いてきました。日本に戻り年金運用業界の長老などにその気持を伝えるとみんな、「岡本さん、そんなことは絶対に無理だから止めておきなさい」と言われたものです。でも、合理的なやり方でみんなのため、未来のために良いことなら実現しなければいけない。それを実現するのが私のミッションなのだと逆に確信を強めました。
そんな中で非常に力強い味方になっていただけたのが現在の企業年金連合会(当時は厚生年金連合会)で常務理事をされていた寺田徳さんでした。また同会の運用部長だった浅野史郎さんでした。合理的な考えをお持ちのお二人のお力添えは忘れられません。
転職先のウェルス・ファーゴ・インベストメント・アドバイザーズの運用は極めて合理的なものでした。運用手法はちょうどレゴのように様々な形の部品を組み合わせて望みの全体を作る。しかも、各部品はインデックス運用なのでコストは安い。また売却と買い付けも社内で手数料なしでクロスする。
グラウアーの経営理念は単純です。
We do well by doing good
お客様にとって他社のどこよりも良いことをしていれば我々のビジネスはうまくいく。さらに「『お客様に良いことをする』というのは何十年も先に年金基金に加入しているお客様が豊かでしあわせなリタイア生活ができるようにすることなんだよ」を言われたときは大きな感動をしました。
そのための運用手法は MC2(Minimum Cost, Maximum Control)というもの。つまり最大限のリスク・コントロールを最小のコストで行うことというものでした。
ちょっとコスト管理について少しエピソードを加えます。グラウアー会長と大阪出張をしたとき新幹線のグリーン車に乗せたらひどく怒られたこと、「君たちはコストを何だと考えているのだ。コストは本来、お客さまの資金だ。コストを削減してお客様のリターンとして返しする。それが競争力になるのだ」と言われました。
そういえば彼は来日の際も成田からはバスでホテルに直行していました。タクシーなど論外です、なぜ成田エクスプレス(NEX)でなくバスでホテルにくるのか、理由を聞くとNEXは値段が高い、しかも東京駅からホテルまでのタクシー代が追加でかかるということでした。
時計も安物、ペンはホテルに置いてあるもの、飛行機はさすがにビジネスクラスでしたが(もちろんファーストではない)年に一度はエコノミー、社員全員に毎年最初の海外出張はエコノミーというルールを作りました。多くの社員の海外出張は年に一回でしたからほとんどエコノミーということでした。これすべてお客さまの払ってくださる運用コストの無駄な流出を防ぐためというのが彼の思想でした。
グラウアーの元でのウェルズ・ファーゴ・インベストメント・アドバイザーズのビジョンとミッションは以下のようなものでした。
ビジョン:私たちは、世界中の何億もの人々と何万もの組織のために、金融的束縛からの開放と自由の確立を目指します。
ミッション:私たちは、お客様とともに知識を創造し、加工し、共有することによって、投資のソリューションをエンジニアします。
もうひとつ、重要なのはこれからの資産運用業務はグローバル化が必至であるとの信念からロンドンや東京などにオフィスを作る一方で、親会社であるカリフォルニアの地方銀行、ウェルズ・ファーゴ銀行を説得し、その持ち分を英国籍のグローバル金融サービス会社、バークレイズを親会社にするという大転換を行っています。子会社が親会社を入れ替える。日本では考えられないできごとでした。その背景としてこれからの資産運用にはグローバルな資産管理業務が絶対的に必要という信念がありました。
「ホンダを考えてごらん。世界中で商品を販売して完全に生産、販売、在庫などを管理しているではないか。これからの資産運用にはホンダのようなグローバルな体制が必要なんだ」と言われたことを覚えています。
最大の競争相手のステート・ストリートはグローバル・カストディを自社グループ内に持っている。運用能力では負けないがそこにカリフォルニア地銀が親会社である弱みがある。それで親会社を変えるという離れ業をしたのです。
その結果、誕生したのがバークレイズ・グローバル・インベスターズ(BGI)でした。また、それまで年金などの機関投資家市場にほぼ限定されていた同社の顧客層をETF市場に参入することで個人投資家市場に拡大することに成功しました。このETFが今日、iSharesというブランドに成長しています。もちろんその背景には年金運用が確定給付型から確定拠出型に変わりつつある底流があったのです。
グラウアー氏が退職した後、BGIはブラックロックに受け継がれ現在も当時の仲間が活躍しています。みんな、BGI時代のことを懐かしがっていていまでも交流会など開かれています。1990年、日本の証券会社からBGIに転職したことは54年に及ぶ証券・資産運用業界に身を置く私にとって大きな転機だったことは間違いありません。




今月号の記事をすべてダウンロード