【Vol.245】FIWAマンスリー・セミナ講演より(講演1)

兜日本株価指数にみる高橋是清の人生

講演:作家、板谷 敏彦氏
レポーター:赤堀 薫里

板谷 敏彦氏 プロフィール

Mr Itaya

造船会社から証券会社へ、ウォール・ストリートに6年、その後も内外証券会社幹部として東京を中心に世界中、日本中を飛び回った。船舶全般/国内外株式/デリバティブス/ストラクチャー/投資ストラテジー/投資理論/金融史/軍事史に強み。週刊エコノミスト連載『コレキヨ 小説高橋是清』全219話終了、現在製本化の過程にある。SMBC日興証券の「日興フロッギー」に歴史紀行『歴史の小咄』、週刊金融財政事情、週刊新潮に書評および株式関連の記事執筆。早稲田大学社会人講座講師

著書:
『日露戦争、資金調達の戦い』新潮選書、2012年
『金融の世界史』新潮選書、2013年
『日本人のための第一次世界大戦史』角川ソフィア文庫、原本2017年
共同翻訳に『プログラム・トレーディング入門』日本経済新聞社 1989年


高橋是清は81歳まで生きました。彼の人生は3つに区分できるでしょう。一つ目は、日本銀行に入るまで。38歳で日本銀行に入ります。実はものすごく大きなことをやっています。日本の特許庁を作ったのは高橋是清です。他の業績が大きすぎて見えない面があります。その後、失敗して、剥落して一文無しになり、38歳で日銀に拾ってもらいます。

58歳の時に日銀総裁から大蔵大臣にスカウトされます。海軍の山本権兵衛が政権を執る時に、来てくれと言われていきます。山本権兵衛は薩摩閥です。是清は、薩摩閥の色が強い。いつも薩摩閥系の人材に助けられて生きてきています。山本権兵衛の政権で大蔵大臣になったことは、すごく納得性があります。

そのあと58歳から81歳まで、5回大蔵大臣を務めています。テレビで紹介するときに7度務めたといいますが、大蔵大臣をしている時に2度首相が暗殺されます。原敬と犬養毅です。この後、彼は大蔵大臣兼の総理大臣をやって内閣が自分の名前になってしまうということで7回ということです。実際は5回でした。

日本銀行に入ってからは、金本位制を導入したりしましたが、日露戦争の資金調達が一番大きな業績になります。日露戦争後は、入行して20年で日銀総裁までのし上がる。その後、政治家になります。

ここから今日の話が始まります。58歳から81歳までの是清さんの時代です。第16代大蔵大臣になったのが山本権兵衛内閣です。この間の年率の株価パフォーマンは、マイナス3.6%です。株価は今までは、バラバラで連続されるものはありませんでしたが、昨年、8月に開発された兜日本株価指数では一気通貫して見ることができます。

Kabuto Chart

山本権兵衛内閣の時は、日露戦争の借金がうんざりするほど日本にあって、どうしようもない状態でした。金本位制のゴールドが日本から少しずつ減っていきました。財政は拡張的になりませんから、シュリンクしていく状態。鉄道公債の外債を発行するのがせいぜいでした。国家予算の30%が借金の返済。他の30%が軍事費。つまり40%で国家が運営されていたわけです。

その後、第一次世界大戦が起こり、日本初の政党政治と言われている原敬内閣のもとで、大蔵大臣になります。第一次大正デモクラシーの影響を受けている山本権兵衛内閣は、政党人の内閣を作りたがった。そのため高橋是清をスカウトした時の条件は政友会の入会でした。原内閣の時は政友会の幹部でした。だから是清さんは21代大蔵大臣。ちょうどバブルの時でした。

株価指数がポーンと突っ立っています。第一次世界大戦後、企業がいっぱいできて、バブルの様相でした。そしてバブルがはじけて元に戻ります。株価は是清在任期間は平均マイナス2%で推移しています。ちなみにこの指数は、単純な価格指数です。

原敬が暗殺されて、是清が首相になり、大蔵大臣を兼務で行い、それを辞めるまでのパフォーマンスです。その後、第28代陸軍だった田中義一が首相になって戻ってきます。ちょうど昭和恐慌といわれている時です。例の鈴木商店台湾銀行。破綻した銀行が出てきて、どうしようもないと取り付け騒ぎが起こります。44日間のピンチヒッターをしましたが、その時が28代ということになります。当時71歳でしたが、体調も優れず辞めます。

井上準之助がやった金解禁の最中にアメリカの大暴落が起こります。日本のパフォーマンスは、井上準之助の期間はマイナス6.6%。最悪の時に出てきたのが高橋是清です。このあと二・二六事件で殺されるまでの間やっていきますが、その間のリターンは10%。だから是清の積極財政が必要だと引っ張り出されてきます。でもこれはカントリーバイアスが入っています。結局、日本の円建てでしか見ないとこうなってしまう。しかし為替はこの時半分になっています。

今日のテーマは第21代のバブルのところにあります。第一次世界大戦の存在があります。アメリカと日本は戦争している国々から遠いところにいました。アメリカは戦争終盤まで参戦していません。それは、ドイツ人の移民が多かったので、単純にイギリスの味方になりにくかった。日本は日英同盟を結んでいたので、対ドイツ、英国の味方をして参戦したと書いてある本もありますが、実はそうではありません。英国は、東洋に不在の間に、日本に植民地を荒らされるのを嫌がっていたので、参戦しないでくれというのが最初のスタンスでした。とはいえ、負けが込んできたので手伝ってくれということでした。そんな中、日本は、中国問題を抱えていました。

講演では高橋是清の生い立ちから始まり、知られざる人物像や功績についての紹介。第21代大蔵大臣在任期を中心に、兜日本株価指数から見えてくる当時の日本の経済状況や、世界における日本の立ち位置を解説くださいました。

(文責 FIWA)

フリー・ディスカッション

岡本|日清、日露戦争で日本は勝ったことになっています。第一次世界大戦でもうまくいって、ついに日本も列強の一員になった。他の列強がやっているように、他の国を植民地化していくことが許される立場になったつもりだったと思います。第一次大戦で、アメリカはむしろ静観していたところで資金力や工業力を高めていった。一方、日本は、そこで儲かったものを、投資であればよかったのに、かなり大陸へ消費していった。そういう大きな違いが、その後の第二次世界大戦で出てきたのかなと思います。

しかも第一次世界大戦に参戦したとはいっても、ちょっと傍観者的な参戦。海軍が地中海辺りに出ていったけれど、大陸でドンパチしたわけではない。大陸で起こった全く今までと違う戦争の仕方を、日本の軍人の中でも今一つわかっていなかったと感じます。昔のやり方でやればなんとかなる。その発想で、資金を大陸の軍備としてどんどん使ってしまった。新しい戦争の戦い方には回らなかった。そこはアメリカとの大きな違い。そういう意味で第一次世界大戦と第二次世界大戦は密接なつながりがあるように思います。第一次と第二次の間を戦間期だという人もいますね。その辺りをどのように考えていらっしゃいますか?

板谷|周回遅れの帝国主義。やっと大国に仲間入りしたと思ったところがピークだったわけです。総力戦というものについて、日本の軍人たちも研究していなかったわけではない。相当立派なレポートが軍から出ています。総力戦は国民1人1人が働いて、軍人だけが戦うわけではないということを曲解してしまったのではないですかね?もっと統制を強めてなんて、まさに今のプーチンがやっていることと似ています。

中国もそうです。統制を強めていくということで、ある意味、経済成長を逆に阻害してしまったのではないのかと感じます。また、日本はドイツ軍をまねて陸軍を作りました。参謀本部という存在は、議会や首相をも超越したものです。作った国が戦争で負けて潰れてしまったのにそれだけ残したこともばかげた話です。

岡本|非常に大きいことは、組閣ができなくなった。ようするに現役の軍人でないと陸軍大臣、海軍大臣になれないということ。軍が『ノー』と言ったら組閣ができない。首相に選ばれても組閣ができないのですぐに辞任に追い込まれていく。それによって軍そのものの超越的な力が出てきてしまったと思いますよね。

板谷|プーチンみたいなものが出てこないじゃないですか。日本の場合、官僚そのものの組織、サラリーマンが集まって権力を持っている。国を元に戻れないような方向にもっていってしまう。戦間期の特徴です。

参加者|第一次世界大戦に参戦する時に日本の中国問題という話がありましたが、中国の権益が取り上げられてしまうことを心配して、それが第一次大戦への参戦につながったというところがよくわかりませんでした。

板屋|これは、日露戦争の時に賠償金をとれなかった。獲得したものが満州の利権。つまりロシアが持っていたものを貰っただけです。ロシアが持っていたものは、1939年までと短かった満州鉄道の経営権。旅順や大連は1923年までと、もうすぐに失効してしまう権利でした。そうするとみんな投資をしてこないですよね。残り10年のために日本の資本家がドンとお金をつぎ込むことがないわけです。せっかく獲得したのにそのままの状態だったわけです。

しばらくしたら中国へ返却しなくてはならないというのが中国問題という言い方で捉えられていました。どこかで何かをしなくてはならないと思っているのにどうにもならないという状態が続いていきます。

第一次世界大戦が始まり、ドイツをみると青島を占領していました。ここを拠点に広げていこうといういやらしい気持ちが生まれ、それがうまくいくように見えたわけです。中国に要求を突き付けたのが、対華二十一か条の要求です。これで保釈期限99年にしろといいます。99年とは永遠という意味です。中国をおどしながらやったので、中国は飲みます。

ただ反対運動が、1919年5月4日に起きました。日本人はあまり知りませんが、五・四運動は反日の原点になっています。これはイコール日米関係につながります。中国ともめるとアメリカが出てくるという状況を、第一次世界大戦の後に作ってしまった。貿易量はアメリカのほうが多いわけです。中国ともめて、アメリカともめることは愚の骨頂なわけですが、軍が足場を組んでいたので、そちらの方向にいってしまいました。

岡本|結局、貿易の相手国が欲しいわけではなくて、国土が欲しかったのでしょうね。

板屋|そうです。国土です。ロシアは第一次世界大戦で革命が起こり、シュリンクしますが、その後、経済成長します。また、世界で戦うときは、最初にロシアと戦わなくてはいけないだろうなという士気がありました。総力戦の準備として中国が欲しかった。いうなれば満州が欲しかったということです。

岡本|中国との戦争で日本が読み間違ったというか、理解しきれていなかったのは、国土が武器になっていたということですよね。攻めれば攻めただけ後ろに引いていくと。どんどん引いていけば最後は負けてしまう。追いかけている方が負けてしまうという面があるのではないのかと思います。

板屋|高橋是清は閣議で軍人に「君らはロシアと戦うというけれど、モスクワまで占領できるのか?できもしないことを言うのではない」と言って、恨みを買っています。そうですよね。無理なんです。

岡本|兜日本株価指数は見えなかったものが見えてくるようになってきた。そういう意味では本当に大きな成果だと思います。もう少しこれがいろいろな形で開発されていくことによって、もっともっとみなさんに使ってもらえるようになればいいなと思います。三和さん、今後の展望をお話していただけますか。

三和|板谷さんに指数値を使っていただいたPI(Price Index:一切の修正を施さない価格指数)、API(Adjusted Price Index:増資権利落修正・追加払込修正を施した修正株価指数)、TRI(Total Return Index: APIに対して配当権利落修正を施した配当込修正株価指数)と3本ありますが、それぞれの指数値とその指数のもとになっているデータ・べースは早急にみなさんにご提供できるような状況です。

データベースは個々の企業の株価を月次で集めたものが全部入っています。これを見ると非常に興味深い。その時代、時代に上場している会社は違います。指数構成で時価総額をとって加重平均をとっていますので、どの銘柄がその時代で一番比重が大きいのかもわかります。それを見ていくと、その時代ごとの産業の在り方というものが見えてくるので、非常に面白いデータになっています。

それも提供できるように整備をしています。それと併せて、株価データも補強して、適時アップデートしつつ、歴史的、統一的なデータをこれから皆さんがご覧いただくことになっていくと思います。またそこから見えてくるものあるでしょう。ぜひ関心を持っていただけたらと思います。

岡本|個別銘柄の株価データが見えるようになってくると面白いと思います。よく言われるように終戦直前になって平和株、小売りや食料、衣類だとか、そのような消費関連株がすごく上がったと言われます。代表的な銘柄の値動きがどうだったのかも分析してみたいと思います。

指数は個別の銘柄から出来上がってくるものです。その背景に埋もれているものがあると思うし、みんなの思いがいろいろな意味でそこに隠れていると思います。企業も設立以来の株価を会社紹介で出してみると、その歴史も感じることができるでしょう。本当にまだ始まったばかりですが、この指数を中心として、その後ろにあるデータベースも含めて幅広く皆さんに使ってもらえるように、みんなで力を合わせてやっていきます。よろしくご支援をお願いします。

参加者|今の指数を自分の何かに使いたいときはどうすればいいですか?どこから買ことができますか?

三和|指数値だけでしたら、割と早めに買えるようにします。I-Oウェルス・アドバイザーズのホームページからダウンロードして提供できるようにと思っています。指数値なので数字が並んでいるだけですが。

岡本|板谷さんありがとうございました。本当に興味深い、そして熟知されていることを感じさせる素晴らしい講演だったと思います。

(文責 FIWA)