【Vol.245】知って得する、ちょっと差がつく トリビア・コーナー

トリビア研究家 末崎 孝幸

1945年生まれ。1968年一橋大学商学部卒業、同年日興證券入社。調査部門、資産運用部門などを経て、日興アセットマネジメント執行役員(調査本部長)を務める。2004年に退職。Facebook上での氏のトリビア投稿は好評を博している。

Mr.Suezaki
末崎 孝幸

「ジブリ」って何?

 誰もが知っているスタジオジブリ、でも「ジブリ(Ghibli)」ってどういう意味なのだろうか。

 ジブリはイタリア語で「サハラ砂漠に吹く熱風」という意味だ。第二次大戦中にイタリアが採用していた偵察機・爆撃機の名前でもあり、航空機マニアの宮崎駿氏がこの名前をスタジオ名に採用したのである。アニメ界に「熱風」を巻き起こそうという思いを込めたという。

 なお、Ghibliはイタリア語では「ギブリ」と読む。実際、イタリア・マセラティ社の乗用車ghibliは、日本でも1970年代から「ギブリ」と呼ばれている。

かっぱえびせん

河童

 「かっぱえびせん」といえばカルビーの主力商品だが、元々は昭和20年代後半に発売した「かっぱあられ」が原点である。当時清水崑による「かっぱ天国」(昭和28年から33年まで「週刊朝日」に連載)という漫画が流行っており、カルビーが清水氏に依頼してかっぱのキャラクターを描いてもらい「かっぱあられ」として商品化、順調に売り上げを伸ばしたのである。

 かっぱあられシリーズの最後の商品が「かっぱえびせん」であり、昭和39年に発売、現在まで60年近いロングセラーを記録している。

・写真は清水崑氏による「かっぱあられ」の原画(カルビーのホームページより)

(追記)清水崑の「かっぱ天国」は黄桜酒造の社長の目に留まり昭和30年から同社(現在の社名は「黄桜」)のキャラクターとして採用された「後に小島功氏(セクシーな『女かっぱ』デザインで有名)に引き継がれた」。

娘子隊(じょうしたい)と中野竹子

 会津戦争の悲劇の象徴としては「白虎隊」が取り上げられる。しかし、日本の歴史上、女性が戦いの最前線に出たのは会津戦争が最初で最後だったことを考えると(巴御前の場合は単騎での戦い)、娘子隊隊長・中野竹子の壮烈な戦死はやはり会津戦争でのシンボル的な位置づけとなろう。

 竹子は幼少より聡明で、5~6歳の頃に小倉百人一首を暗誦して一字も誤ることがなかったという。容姿端麗、男勝りの女丈夫として知られた。

 1868年(慶応4年)8月25日、中野竹子は額に銃弾を受け討死する。 その首級は、政府軍に奪われることをよしとしない妹・中野優子により介錯(母が介錯したとの説も)、白羽二重に包み回収された。享年22(20、18の説もある)。

 なお、娘子隊は、娘子軍、婦女隊との呼び方もある。これは藩の正式な組織ではなく、中野竹子らが、照姫を護衛するために自発的に組織したため。

 また、中野竹子の辞世の句は、倒れた際に握られていた薙刀に結ばれていた「武士(もののふ)の 猛(あつ)き心に くらぶれば 数には入らぬ 我が身ながらも」。

競売は「けいばい」or「きょうばい」

 「競売」はどう読むのが正しいのだろうか。結論からいうと「けいばい」「きょうばい」両方OK。「競売」は一種の法律用語なので不動産やオークションなど業務に携わる人は「けいばい」と読んでいるようだ。

これは1898年(明治31年)につくられた競売法(けいばいほう、1979年(昭和54年)民事執行法に吸収され廃止)によって「けいばい」という読み方がされている。しかし、一般の人にはなじみにくいことから、今では「きょうばい」の読みの方が普及している。

 こうした例は「遺言」(一般的には「ゆいごん」だが、法律の専門家は「いごん」と読みがち)、借家(「しゃくや」が一般的だが、不動産の専門家は「しゃっか」と読む)などにもみられる。

トスカニーニはなぜ大指揮者になったのか

トスカニーニ

 1886年6月、当時19歳の青年トスカニーニは、リオデジャネイロのオペラ劇場でチェロを弾いていた。イタリア出身の大指揮者トスカニーニは、元は若くて無名のチェリストにすぎなかった。それが突然、指揮される側から指揮する者へ立場が逆転する運命の日がやってきた。

 その日、ヴェルディの「アイーダ」が上演される予定になっていたのだが、どういうわけか指揮者が突然降りてしまうというハプニングが起きた。指揮者がいなくては演奏はできない。楽員の推薦で、指揮者の役が19歳のトスカニーニにまわってきたのである。

 彼が推されたのは、指揮者としての才能があるかもしれないと期待されたわけではなく、じつはトスカニーニは強度の近視で、譜面台に置いた楽譜が見えなかった。

 そのため、彼は自分のパートのチェロだけでなく、すべての楽譜を暗譜していたのだ。オペラは大成功をおさめ、無名の若者は指揮者としての名声を得るきっかけをつかんだのである。

・写真はアルトゥーロ・トスカニーニ(Wikipediaより)