【Vol.245】FIWA認定会員 投稿コーナー 1

プロフェッショナルについて

寄稿:ファイナンシャルプランナー CFP®
FIWA®協認定正会員
上山 光夫

*FIWAは金融商品の販売を行わないアドバイザーに与えられる称号です

Mr.Ueyama

自己紹介

米国とスペインでの11年間を含む20年間の国際部門での勤務の後、銀行(CFP)でさらに数年間、国内の企業および個人の財務に従事しました。銀行退社後、化学会社、システム会社、ベンチャー企業へキャリアチェンジ。放送大学で国際政治情報学を専攻(修士)。大阪生まれ、自然豊かな関西が大好き(趣味はトレイルランニング)


1990年に米国ジョージア州アトランタ市に、銀行から派遣されて赴任した時の仕事は、それまでに銀行が貸し出した、不動産担保貸し付けの回収でした。

バブル景気に沸いた1980年代後半の勢いに乗って、日本の銀行はこぞって米国の不動産担保融資にのめり込み、その後の、米国の景気後退と、日本のバブル崩壊のダブルパンチで、膨大な不良債権の山が、日本の内外に積みあがった時期だったのです。

金融(お金)というものは、影だけがあって、実体が無い・・というのは、まさにこの時のことで、市場に溢れかえっていたお金が、気が付いたら一瞬のうちに消えてしまい、後に残ったのは、担保価値が急激に下落して、融資の返済目途が立たない不良債権だけでした。

赴任して、最初に思ったのは、米国の不動産業界のプロと呼ばれている人たちが、何故この事態に至ったのか?そしてこれからどうしようと思っているのか?という疑問です。

プロというのは、素人がするような、大きな失敗はしないものと思っていたので、米国の不動産業界が何でこうなったのかが不思議でした。

それまで、東京にいて国際金融市場に関わっていたのですが、何となく日本人にプロフェッショナルはいない、または無理なのではないかと感じていたので、プロの本場の米国で、プロの正体を探ってみようと考えました。

私のプロの定義は、「職業意識」と「職業倫理」に裏打ちされて、自分の仕事を遂行する人です。この定義は、高校時代に友人と議論して辿り着いたものなので、米国でこの定義が正しいかを確かめてみたいという想いもありました。

オフィスの同僚の米国人に、早速「プロとはなんだ?」と聞いてみたところ、「自分がプロだと思えば、その時からお前はプロだ」という答えが返ってきました。その後、議論を重ねると、どうやらその仕事で生計を立てっている人が、その仕事のプロであり、それは組織に所属するか、自営でやるかを問わないということが分かってきました。

さらに、これは米国の特徴かもしれませんが、一つの業界で仕事をするということは、例えば、不動産についての基本的知識と経験があれば、ある時は銀行の融資担当者、別の時には不動産のデベロッパー、または不動産管理会社のマネージャーなど、同じ人が、いくつも帽子を被ることで、それぞれ違う役を演じるということのようでした。

私の定義に即して考えれば、不動産業界で仕事するという「職業意識」を明確に持つということになります。そうなると、相対的に、自分が所属している組織への、忠誠心は薄れますね。

もう一つ、同僚たちが言ったことは、「重要なのは経験だ」ということです。

弁護士や会計士など、試験に合格する必要がある職種もありますが、それは業務に最低限必要な知識を持っているということの証明であり、言ってみればスタートラインに立っただけです。

彼らの考えでは、プロとして生きていく中で、マーケット(自分のサービスに対して、対価を支払ってくれるお客さんという意味)で選別され、鍛えられていく。つまり経験を積んで生き残っていくのがプロだというのです。

ここで生き残っていくために最も重要だと、私の一番仲が良かった同僚が言ったのが「Ethics (倫理)」でした。つまり、職業倫理をしっかり持っていないプロは、市場や顧客に淘汰されていなくなるということです。

米国での駐在は6年半でしたが、離任のころは、米国の景気も回復し、不動産の不良債権処理も、ほとんど完了しました。その時、市場を見てみると、多くの没落した人と少数の生き残った人がいました。

6年間の印象だけの話ですが、プロでも素人でも、同じように間違いは犯すけれど、異なるのは、失敗を経て生き残った人には、周囲に支える人がいたことです。もしも、その人がお客さんに支えられて、生き残ることができたのであれば、私の同僚が言ったように、自分の職業についての「職業倫理」がプロフェッショナルにとって、最も重要なものかもしれません。

現在、資産運用業界では、アドバイザーの議論が行われていますが、プロのアドバイザーとして生き残っていくのであれば、豊富な業務知識とともに、自己の職業倫理に沿った仕事をすることが必要ですね。