【Vol.235】知って得する、ちょっと差がつく トリビア・コーナー

トリビア研究家 末崎 孝幸

末崎 孝幸氏

1945年生まれ。1968年一橋大学商学部卒業、同年日興證券入社。調査部門、資産運用部門などを経て、日興アセットマネジメント執行役員(調査本部長)を務める。2004年に退職。Facebook上での氏のトリビア投稿は好評を博している。

福本豊は国民栄誉賞をなぜ断ったか

スポーツや文化活動などの分野で顕著な功績を残した人物に授与される国民栄誉賞。この賞を辞退した人物としてイチローと昨年の大谷翔平の名はよく知られているが、実は1983年にルー・ブロックの持っていた盗塁記録を抜く939盗塁(通算盗塁数は1065)を達成した阪急ブレーブスの福本豊に国民栄誉賞の打診があったものの、福本氏は断っている。

その理由として、福本は「立ちションもできんようになる」と言ったと報じられた。ただ、その真意として後に「王選手のような野球人の手本になれる自信がなかったこと、麻雀や喫煙もたしなむため他の受賞者に迷惑がかかる」と考えたと述べている。

(追記)なお、没後の国民栄誉賞受賞者として、美空ひばり、長谷川町子、古賀政男、渥美清、吉田正、黒澤明、遠藤実、森繁久彌らがいるが、作曲家の古関裕而の場合は遺族が辞退している。よって辞退者はイチロー、福本豊、大谷翔平、古関裕而の4名となる。

お払い箱

お払い箱

伊勢神宮の厄除けのお札に「神宮大麻」というのがある。この札を入れておく箱のことを「御祓箱」(お祓い箱)といい、箱の中のお札は毎年新しいお札に取り替えられるため、不要になった物を捨てることを「お払い箱」というようになったのである。さらに、解雇などの意味を有するようにもなった。

写真は伊勢神宮の神宮大麻(Wikipediaより)

兵隊さんの汽車(汽車ぽっぽの原曲)

日本の歌百選に選出されている童謡「汽車ぽっぽ」の原曲は昭和12年に発表された「兵隊さんの汽車」である。作詞した富原薫氏は当時御殿場市に住んでおり、旧陸軍の演習場があった御殿場線の御殿場駅で見た光景を歌詞にしたという

戦後、川田正子の歌によるレコードが発売されることになり、原曲の作詞者富原氏自身によって現在の「汽車ぽっぽ」の題名と歌詞に改められ、昭和20年の大晦日、NHKラジオの「紅白歌試合」(「NHK紅白歌合戦」の前身)で歌われた。

兵隊さんの汽車(歌詞)

(一)
汽車汽車 ポッポポッポ
シュッポシュッポ シュッポッポウ
兵隊さんを乗せて
シュッポシュッポ シュッポッポウ
僕等も手に手に日の丸の
旗を振り振り送りませう
萬歳 萬歳 萬歳
兵隊さん兵隊さん 萬々歳


セメダイン(社名の由来)

セメダイン

当社は関東大震災のあった1923年(大正12年)に今村善次郎氏が日本初の合成接着剤「セメダインA」の製造販売を開始したのが始まり。

現在使われている「接着剤」、この言葉を作り出したのは創業者である今村善次郎氏だ。同社の創業当時には「接着剤」という言葉は存在しておらず、一般には「接合剤」または「膠着剤」と呼ばれていた。

野球はなぜ9回までなの

野球は9回裏(または9回表)までが正式な決まりだが、1800年代半ばまでは回数制ではなく、先に21点を取ったチームが勝ちという得点制だった。

しかし、昔の野球は真剣勝負のスポーツではなく、上流階級の遊びのようなもので、午後のパーティーまでの間に行っていた。しかし、先に21点を取った方が勝ちというのでは、終了時間が予測できずコックたちの不満が高まり、現在の9回制に移行したのである。

なぜ9回制になったのかは、数字の3の倍数がきっかけである。野球のプレイヤーは9人であり、3ストライクでアウト、3アウトで攻守交代など、3に関するものが多い。ここから野球は9回までとなった説が有力である。また、キリスト教には「三位一体」という教えがあり、3はキリスト教にとって聖なる数字で、「3」を3回繰り返せばより理想的なものになるという考え方から9回で終了するルールになったとする見方もある。