【Vol.229】 FIWA®マンスリー・セミナー座談会より 安永雄彦氏を囲むフリーディスカッション

参加者: 安永 雄彦氏、岡本 和久、参加者のみなさま
レポーター: 赤堀 薫里

安永雄彦氏を囲むフリーディスカッション

岡本|人生の目的は出世することでもないし、お金持ちになることでもない。要するにしあわせ持ちになることが、我々生きている目的であり、そこに一歩ずつ近づいていけるような生き方をすればいい。お金や投資が学びの入り口となることが非常に面白いと思います。お金のことを勉強していると、「ご縁のネットワークの中で生きている」ということがすごくよくわかる。たった1枚の板チョコを買うことでも、その向こう側にはコートジボワールでカカオの実を取っている子供たちまでつながっていくわけです。そういうご縁のネットワークが構築されていて、その中で我々は生活が成り立っている。

それから投資は、一口に言えば時間をどのように味方につけるのかということ、それは言い換えればどう生きるのかということです。お金とか投資は『ご縁のネットワークの中で我々はどう生きていったらいいの?』ということを気づくためのよいきっかけになるのではないかと思います。そういう意味で今日すごく納得感があるお話がたくさんありました。

参加者|岡本さんのお話で一番気になったこと。アメリカは合理的な話はすぐ実行するけれど、日本は15年遅れるというところが一番面白かったです。既得権益の人に退場してもらったり、忖度したりするのに15年かかるということだと思います。これは先ほどの安永さんのお話で、今までのやり方では宗教法人はだめになるということを理解してもらうのにおそらくかなりの時間がかかったということと、共通すると思います。一つ思うのは私が会員になっているFIWA®もこれが常識になるには15年かかるのかなと、長期でやっていく活動になるだろうなとお話を伺って思いました。

親鸞聖人は、「歎異抄」「他力本願」 「悪人正機」という言葉が頭に浮かびます。ダークサイドとか人生は諦めるというのは、親鸞聖人の「悪人正機」や「他力本願」というのを現代風にアレンジして、安永さん流に咀嚼しておっしゃっていることだと思います。本願寺は仏教といいますが、そのキラーコンテンツは親鸞聖人の教えだと思います。それをどういう形で具体的に表に出してやっていらっしゃるのか。それとも仏教徒という立場でみなさんの心に寄り添う、どちらかというとモデレートの形でされていかれるのか、その中心戦略みたいなところを教えていただければと思います。

安永|こういう講演では、親鸞のご講義がどうだとか、念仏者の生き方はどうだとか、なるべく仏教教用語を使わずにしています。この5つの条件はそれぞれ全部仏教的考え方を違う表現で述べているだけです。

ある意味、仏教という思想体系そのものが人生哲学の体系みたいなもので、何かの拍子に誰かが利用すると宗教になるだけで、宗教的な熱気を帯びた運動に展開していったりするのかは知りません。どちらかというといつの時代にも起こりうる人間の煩悩、ダークサイドと自分との葛藤や闘いをどうやって解決していくのか。お釈迦様が始めた仏教そのものもどうやって苦を無くして楽を与えていくのか。そういったものを客観的に受け入れられる、悟っていかれる教えの体系、哲学の体系です。

私的にはこれのどこが宗教なんだろうと思うところがあります。宗教教団が宗教教団として生きて行くにためには、それなりにちゃんと集客をして,お金が集まる仕組みを作り、お寺を建て儀式を行うというかたちが何千年もかかって出来ているので、これには価値があります。ただ個人ということにフォーカスして言えば、現代人にとって、取捨選択して自分の生きる中で役に立つのであれば取り入れたらいいし、先祖崇拝が大事だと、家族制度がある程度大事だと思えばそれは守るようにしたらよい。自分自身の人生を生きる上で、宗教的な支えが必要だと思えば取り入れればいいし、それは自由に選択する時代だと私自身は考えています。

築地本願寺の活動そのものは、簡単に急展開できません。宗教用語を使わずにやさしく説いてくれといっても、ほとんどの人はそれができません。ただ、大きな方向性としては親鸞聖人が仏になった。彼が一生を通じて闘った人間が抱える煩悩をどう消化していくのかは、現代人と全く同じだと思うのでそこを現代風にどう伝えていくのかが、今この現代に生きる宗教者の役割だと考えています。できるだけ宗教用語を使わずに、お経の引用もせずに本質的なことを伝えていく。そうすると現代人の心を打つものがあるでしょう。そういう人がお寺に入ってきて、そこから始めて仏教用語を学び始める、お経を読み始めるということになるのかなと思っています。

岡本|生活者レベルに受け入れてもらえるようなメッセージ性が、すごく必要ではないかと思います。投資というとすぐに売ったり買ったりという話になってしまいます。長い年月をかけて積立て、長い間、保有して将来の自分のために役立てるという考え方に変えていかないと本格的な資産形成、資産運用になっていかないのではないかという気がします。

参加者|築地本願寺というところは、非常に敷居が高いところだと感じていましたが、銀座サロンから学びをさせて頂ければなと思っています。私が持っているお寺という概念を崩すというか、民衆に沿うような形で組織を改革するということは、岡本先生のアメリカから15年かけて日本が変わるというように、本願寺もお寺やお坊さんの中に既得権益みたいなモノがあって、徐々に、徐々に改革されたと思います。その辺は何年くらいかけて組織を変えていったのか、お話を聞かせてください。

安永|組織が本当に変わるということは、とても難しいことです。僕はこう考えました。まずは形を変えよう。見え方を変えよう。そこから入ろう。最初に境内地の大改装に手をつける事ができたのは非常に幸いなことです。本山が伝統法要で集めた200億円の資金がありました。そのうちの一部を築地本願寺の改革に資本投下してもらった。そのお金と築地本願寺で積立てたお金を合せて先行投資ができたということが非常に僥倖でした。15億円くらい掛けて境内地を変えました。インフォメーションセンター、銀座サロン、コンタクトセンター、CRMのシステムだとか一気に3年くらいかけてやりました。結果的に1万2000人もの多くの方にお越しいただきました。人の来る数が増えれば落ちていく収益は当然変わっていきます。そうすると目に見えていろいろなモノが回り始めます。

職員の仕事の平均量は2~3倍になっていると思います。それにあわせて給与体系や手当のあり方、時間外の給与も払っていなかった分も払うようにしたり、休みもとれるようにしたりと、細かい部分もチューニングしながら変えました。

仕事は大変になり、お客さんも門信徒もいっぱいくるようになりました。しかし、自分たちも豊かになったということがわかってくると、変わっていかないといけないとなります。よく、『理念教育を社員、職員に徹底したことによって変わりました』と言いますが、なかなかそれは難しい。やっぱり現実に少しずつ変わっていって、自分たちの生活も上向きになり、お客さまから感謝されるようになって、という小さな実感が作用して変わり始める。最初の弾み車のような。でもここまでに6年かかりました。今、昔のことを思い出せる職員は誰もいません。

小さな改革を積み重ねることによって徐々に弾み車が回り出すということなんだと思います。だから一気に変えるということはなかなかできないですね。

岡本|仏教は煎じ詰めれば人生哲学だという話がありましたが、本来、あらゆる宗教をずっと遡っていくと人生哲学みたいなところになっていくだろうと思います。そういう意味では一つの宗教が全世界を支配する必要もないし、究極のところがしっかりしていればいいのかなというように思います。時々変な宗教が入りますからね。本来のみんなを幸せにするような、世界を平和にするような目的をもった宗教であればそれは良いんだと思います。今日は本当に内容の濃い深いお話をありがとうございました。