【Vol.241】知って得する、ちょっと差がつく トリビア・コーナー

トリビア研究家 末崎 孝幸

末崎 孝幸氏

1945年生まれ。1968年一橋大学商学部卒業、同年日興證券入社。調査部門、資産運用部門などを経て、日興アセットマネジメント執行役員(調査本部長)を務める。2004年に退職。Facebook上での氏のトリビア投稿は好評を博している


 

千手観音の手の数は?

千手観音

六観音の一つである「千手観音」には手が千本もあるわけではないのに、なぜ「千手観音」と呼ばれているのだろうか。

千手観音の実際の腕は左右21本で計42本のものが多い。ただ、胸の前で合掌している合掌手と腰のあたりで鉢を持つ宝鉢手(ほうはつしゅ)を1本とすると千手観音の手は40本ということになる。

この40本の手が、それぞれの25の世界を救うものであり、「25×40=1000」であると言われている。ここで言う「25の世界」とは、仏教でいう「三界二十五有(う)」のことで、天上界から地獄まで25の世界があるという考えだ。俗に言う「有頂天」とは、二十五の有の頂点にある天上界のことを指している。

写真は京都・三十三間堂の千手観音(Wikipediaより)

馬の骨

古来、中国では「役に立たないもの」として「一に鶏肋(けいろく)、二に馬骨」といっていた。「鶏肋」とは鶏のあばら骨のことで、小さ過ぎて役に立たない。そして「馬骨」は、役に立たないうえ大き過ぎて処分にも困る。ここから、誰にも必要とされず役に立たない余計者という意味になったのである。

さらに、その意味が「大人なのに成長過程や職業がわからない」という意味でも使われ、「馬の骨」は現在のような「素性のはっきりしない者」を罵る場合に使うようになったのである。

多士済済(たしさいさい or たしせいせい)

多士済済は、中国最古の詩篇である「詩経」の中にある言葉。「多士」は多くの優れた人材、「済済」は数多く盛んな様子のことから、優れた人が多い様子を意味する。本来の読みは「たしせいせい」であるが、いつの頃からか「たしさいさい」と誤読されるようになり、今では慣用読みとして定着している。

ただ、NHKでは元々の読みである「たしせいせい」を使っている(NHK放送文化研究所)。また、国語辞典の多くは「たしせいせい」を主見出しとしながらも「たしさいさい」の読みも掲載している。

(追記)熊本市に「済々黌高校(せいせいこうこうこう)」という県立高校がある。川上哲治が一時期在籍していた学校として知られており、この高校の存在を知っている人は「多士済済」を「たしせいせい」と読むのではなかろうか

ポテトチップス誕生秘話

19世紀の半ば、アメリカニューヨーク州のサラトガ・スプリングスのとあるレストランで、客の一人がフライドポテトが厚すぎるとクレームを出して、何回も作り直しをさせた。うんざりした料理人のジョージ・クラムは、フォークで刺せないほど薄くして困らせてやろうと考えた。

ところが、クラムの嫌がらせに対して、客は「とてもおいしい」と大喜びし、クラムの思惑とは逆の結果になった。そして、この料理は(付け合わせなど食事の一部ながら)「サラトガ・チップス」という名でレストランの公式メニューになったのである。

桃源郷

桃源郷

帰去来辞(帰りなんいざ、田園将にあれなんとす なんぞ帰らざる)で有名な陶淵明の詩に「桃花源記」というのがある。

ある漁師が、どこまでも続く渓谷を船で奥へ奥へと遡った。どこまで来たのか分からなくなった頃、突然桃の花が一面に咲き乱れる林が両岸に広がった。その美しさ、花びらの舞い落ちる様に心魅かれた男は、その源を探ろうと桃の花の中をさらに遡り、ついに桃林の奥に、秦の時代からの戦乱を逃れ、数百年もの間世界から隔絶された『桃源郷』を発見した。そこはどこにでもあるような農村の風景でありながら清楚で美しく、人はみな微笑みを絶やさず働き、見るものすべてが和らいでいた。彼はそこで手厚いもてなしを受けた後、帰って行った。しかしその後、漁師も、他の誰も、二度とその場所を見つけることは出来なかったという。

ここから「桃源郷」という言葉が生まれたのだが、トマス・モアの「ユートピア」思想と同様、理想郷を求める人間の姿は洋の東西、変わらないのかもしれない。