【Vol.227】知って得する、ちょっと差がつくトリビア・コーナー

トリビア研究家 末崎 孝幸

末崎 孝幸氏

1945 年生まれ。1968 年一橋大学商学部卒業、同年日興證券入社。調査部門、資産運用部門などを経て、日興アセットマネジメント執行役員(調査本部長)を務める。2004 年に退職。Facebook 上での氏のトリビア投稿は好評を博している。

オリンピックのメダリスト兼ノーベル賞受賞者

 文武両道という言葉からどんな人物を思い浮かべるだろうか。私は 2017 年に日ハムから指名を受けた東大野球部の宮台康平投手を思い出す。彼は六大学野球で 6 勝 13 敗の記録を残しているが、東大での 6 勝は大変な記録だと思う。宮台は東大卒業後日ハムに入団、現在はヤクルトに所属している。

 ただ、世界に目を転じればオリンピックでメダルを獲得し、後年ノーベル賞を受賞した途方もない人がいる。英国のフィリップ・ベーカーという人物で、1920 年のアントワープオリンピックに出場し、陸上 1500mで銀メダルを獲得した。その後、政界に転じ英国の国連代表、英連邦相などを歴任している。フィリップは第一次世界大戦に従軍した経験から一貫して平和軍縮運動に携わり、1959年にはノーベル平和賞を受賞している。オリンピックのメダリストでノーベル賞を受賞したのはフィリップただ一人である。

オーストラリアの投票率は 100 年近く 90%超

 日本の総選挙の投票率は戦後長く 70%前後で推移していたが、平成に入ってから低下傾向となり、ここ 4 回は 50%台となっている。

 一方、オーストラリアの投票率は 90%台となっている。これは 1924 年に義務投票制度を導入したことによるものだ。投票は国民の義務であるとして、正当な理由がなく投票しなかった場合は 20オーストラリアドル(約 1700 円)の罰金が科せられる。この制度を導入する以前の投票率は 50~70%だったが、義務投票制度を導入してから 90%を下回ったことは一度もないという。

街路樹にイチョウが多いのはなぜか

東京都千代田区大手町「大手濠緑地」にある震災イチョウ

 日本の街路樹にはイチョウの木が多く利用されている。これにはイチョウが持つある性質が関係している。東京の明治神宮外苑や大阪の御堂筋など、イチョウ並木がきれいな場所は日本各地にある。また、国土交通省の調査によれば、街路樹として 57万本のイチョウが植えられており、樹種別ではイチョウが最も多い。街路樹にイチョウが多いのは、イチョウが「火に強い木」だからだ。

 イチョウは他の木に比べて葉が厚く水分が多い。そのため、燃えにくく火に強いという性質がある。また、イチョウの葉だけでなく、幹も他の木より水分が多く、木全体が燃えにくく火事に強い。この性質から街路樹として多くのイチョウが植えられてきた。江戸時代には防火用の空地である「火除け地」にイチョウが多く植えられた。これにより火事が起きた際に火が燃え広がるのを防ぐことが出来た。

 また、大正 12 年 9 月に発生した関東大震災の際には、実際にイチョウが延焼を防いだという事例も多く見られ、これにより防災を兼ねて街路樹にイチョウが多く植えられるようになった。東京都千代田区大手町には関東大震災を生きぬいたイチョウの木が現在も残っている。樹齢は約 160年とされ、震災の際の炎と高温により木の表面の一部が変質したが、焼失は免れた。このイチョウは当時「帝都復興のシンボル」として注目を集め、「震災イチョウ」の名称が付けられている

・写真は東京都千代田区大手町「大手濠緑地」にある震災イチョウ

源頼朝、平清盛の名前の「の」とは?

 源頼朝、平清盛、藤原道長、橘諸兄などの場合、姓と名前の間に「の」がつくが、足利尊氏、織田信長以降の人物には「の」がつかないのはどうしてなのだろう。

 これは源、平、藤原、橘のように「の」がつくのは天皇から与えられた「氏(うじ)」という公式なものであって、源頼朝の場合は「天皇から授かった『源』の血筋を引く頼朝」という意味だ。一方、「の」がつかないものは自分が支配していた領地や地名などからとった日常的に使う「苗字」である。

 ただ、徳川家康の場合、源氏の流れなので本来であれば「源朝臣(みなもとのあそん)徳川家康」である。しかし、平安末期以降は武士の勢力が強くなり、天皇との主従関係が薄れてきたことから、源氏では「足利」「徳川」、平氏では「北条」「織田」など(氏ではなく)苗字を使うようになったのである。

始球式でなぜ空振りをするのか

 野球の試合開始前に「始球式」と呼ばれる来賓が投手役として投球を行うセレモニーが実施されることがある。始球式では打者はどんなボール球が来ても空振りするのが慣例だ。これは日本で最初に始球式を実施した際に、投球を行った大隈重信が偉すぎて、打者が空振りをするしかなかったからだ。

 1908 年(明治 41 年)11 月 22 日、来日したアメリカの大リーグ選抜チームと早稲田大学野球部が対戦する際に、記念として日本初の始球式を実施することになった。その始球式でマウンドから投球を行った大隈重信の球はストライクゾーンを大きく外れてしまった。

 その際、早稲田の 1 番打者が大隈重信の球をボールにしてはいけないと考え、わざと空振りをしてストライクにした。これ以降、始球式において打者は投手役に敬意を表すために、どんな球でも空振りをするようになったと言われている。

西表(島)をなぜ「いりおもて」と読むのか

 沖縄県八重山列島の島である西表島は動植物の多様性から本年 7 月奄美大島、徳之島、沖縄島北部とともに世界自然遺産に登録された。沖縄県内では沖縄本島についで第 2 位の面積を誇る西表島には星野リゾートがあり、観光地としての人気が高い。

 それにしてもなぜ西表を「いりおもて」と読むのだろうか。実は沖縄では東西南北について、東を「あがり」、西を「いり」、南を「はい」、北を「にし」と言う。東と西は太陽が「上がって」「入る」ところから「あがり」「いり」と言うのである。