【Vol.284】私が長期投資道に至るまで
桑瀬登起子氏プロフィール
岡本: 今日は私が長年やってきたマンスリーセミナー、これは2005年から2024年まで毎月やっていました。それから2025年から始めたサロイン塾、こちらは隔月の無料オンライン開催、YouTubeにも公開しています。これらセミナーに毎回参加してくださっている桑瀬登起子さんが、私が2009年に書いた長期投資道という本を気に入ってくださいました。桑瀬さんには私の著書もずいぶん読んでいただき、講演も聞いていただいてます。桑瀬さんに今日は長期投資についていろいろ聞きたいなと思っています。
特にこの長期投資道という本は私にとってとても思い出深い本なんですね。なぜなら私の55年間の証券人生で出会った素晴らしい方々からいただいた投資哲学や思想、名言などを私なりに消化して解説したものだからです。いろいろと記憶に残る言葉を思い出すと自分の中で大きな宝になっているなって、今79歳になって本当にそう思います。最初に桑瀬さん、なぜこの本を読もうと思ったか、その辺の背景をちょっと話していただけますか。
桑瀬: はい。私は先生(岡本)と2011年、東北の震災の年に出会いました。その時も司法書士の自営業だったので、将来は自分年金、国民年金しかなかった。そこで自分年金を作らないといけないという思いもありまして、岡本先生のセミナーに出させてもらったり、ぼちぼち勉強していたのです。本当に結構、若い時に周りが適当に言うのを適当に買ってどんどん下がった株式を持ってたんですけど、先生のセミナーに出たり、他の勉強会とかに参加させてもらって、やっぱりやり直さなきゃならないと思い、コツコツと一から資産形成しました。
岡本: その結果、何とか今後、自分の年金の元になるようなものはできたかな、という状況に至ったんですね。でも振り返ってみると、別にこれは私の話したことが良かった訳ではなくて、この10年、本当に相場環境が上昇傾向だったし、投資を始めて継続していたということが良かったというか、超ラッキーだったのでうまくいったのだと思います。今後、続けていくにしてもやっぱりちゃんと勉強しなければという思いが湧いたんですね。大切なことは「長期投資道」という「道」を歩み始めていたのが良かった。その点では少しはお役に立てたかもしれない。
桑瀬: 2009年にたまたま個人投資家のロクスケさんという方が書いた「大暴落の夜に長期投資家が考えていること」という言葉に出会う機会があったのです。そこでその本をアマゾンでポチッとしてそれが届いてパラパラめくったら、その真ん中のページの方で岡本先生の名前がパッと目に入ったのです。そこに書かれていたのが「長期投資道」という本でした。
ロクスケさんのサイトを読むとロクスケさんが著書の中で岡本先生から多くのことを学んだという趣旨の記載がありまして、私もぜひこの本を読んでみたいと思って入手し、読ませていただいたという。そういう次第です。
岡本: なるほど、そもそも私がこの本を書こうと思った経緯を少しお話ししましょう。私は日本の証券会社に1971年に入社してその後、15年間ニューヨークに駐在して多くのことを学ぶ機会に恵まれました。さらに1990年にアメリカの年金運用会社に転職して、そこでまた15年、日本法人の社長を務めました。その意味では本格的な資産運用を長く学ぶ機会に恵まれたわけで、とてもラッキーだったと思います。
そしてその合計30年の期間、本当の投資や資産運用のプロってこういう人だなと思うようなアナリストやファンドマネージャーと交流する機会があったのは本当に幸いでした。たった1回しか会ってない人もいる、あるいは、どっぷりと仕事させられた人もいる。それで分かったことはみんなやっぱり非常に確固たる自分の投資哲学を持っているということでした。人生哲学って言ってもいいのかもしれないけど、それを持っているっていうことでしたね。
桑瀬: なるほど、それがこの本が誕生した経緯だったんですね。
岡本: そうですね。日本の証券会社での15年間のニューヨーク駐在員時代には彼らのレベルの高さに感動してあこがれたわけです。私もああいう風になりたいとね。それで行き着いたのがCFAというグローバルな証券アナリストの資格でした。まだ証券アナリストの資格は世界中でアメリカのCFAしかなかったのです。全世界でも7000人ぐらいしかいなかった時です。日本でも片手で数えられるぐらいの方のみでした。この資格を取るために勉強したことで多くの本物のプロの仕事の背景を知ることができたと思っています。
15年のニューヨーク駐在を終えて本社の国際部の中の投資顧問課という部署に配属になりました。日本はオイルショックを乗り越えて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」だと言われた時代です。非常に明るいムードだったのですが、銘柄を選択するにしてもストーリーと需給関係、大手証券が「手がける」ようだというようなうわさなどで市場は活気づいていました。
証券会社主導の相場形成でしたから、どうしても短期の値幅取り相場になっていた。証券会社は、ずっと買った株式を保有してもらっても収益にならない。あえて言えば、売ったり買ったりしてくれることで手数料が入ると、特にそういう時代だったんです。そして大手四社のシェア争いは激烈なものでした。
桑瀬: このご本の中でもそのころのことを少し書かれていますが、当時の面白いエピソードっていうのは何かありますか。
岡本: 面白い話は結構たくさんあるのですがひとつ紹介しましょう。国際部でも毎日、朝会をやるんですよね。朝礼っていうより、営業会議みたいなものですね。「今日はこの銘柄を勧めようぜ」みたいな。翌日、翌週になると別の銘柄に移っている。まさに日替わりメニューのようなものでした。
日本の朝会で非常に印象に残ったことが一つあります。冗談のような話なのですが、ある銘柄が面白いというのでみんなが盛り上がっているんですね。それほどファンダメンタルがいいわけでもないのにどうしてかなと思って聞いていると、ライバル同士の2つの会社があるわけですよ。例えばA社とB社が競争しているとしますよね。例えばA社の株価がB社の株価に抜かれたと言うわけですよ。
A社は「絶対、黙ってない」だろう。自社の株を持ち上げる努力をするだろうというのです。だから今のうちにA社株を買っておくと儲かるということを真面目に言っていたんですよね。すごいところだと思いましたね。
桑瀬: だいぶやばい世界ですよね。日本の常識、世界の非常識みたいな。そんな感じだったんですかね。
岡本: それはすごくありますよね。やっぱり需給が最も重視されていた。それから来週は何々証券がある銘柄を取り上げるようだと。また、そういう情報をキャッチする人がいるんですね。業界新聞の記者の方なども割と平気で証券会社のオフィスに入ってきて「今、何調べてんの?」なんて書類見たりして、そのうちに業界紙に記事が出たりする。そういう時代でしたから。今では考えられないですよね。当時は大変な所に来ちゃったなと思っていましたよ。
そんな状態のなかでも海外で学んだ手法、証券分析の手法をきちんとした形でレポートを出し続けました。私の部門は海外投資家も担当していましたから。部下になった人たちにも分析方法を教えて、それに沿ったようなレポートを作って、そしてそれを海外にも日本の機関投資家にも配布したんですね。特に海外の投資家は、とても喜んでくれました。自分たちと同じような手法で日本株を分析してくれるところがあるというのが珍しかったのでしょう。海外の有名な投資関係の雑誌で日本のベスト・アナリストとして選ばれたこともありましたよ。そういうこともあった。
1980年代の終わりぐらいになってくると、だんだんバブルの喧騒が一段と騒がしくなってきて、「今買わない奴はバカだ」みたいな話になったのです。しかし、一方でまともな証券分析も少しずつ浸透していったんですよ。正統的な証券価値の分析が進むほどに、やっぱり「日本のマーケットは高すぎるよね」っていうことが否定できなくなってきたわけです。やはりバブルが崩壊した背景の一つには、そういう海外投資家による本格的な日本のマーケットの価値分析が進んできたことがあるのではないかなと思いますよね。「どう考えてもこれは高すぎる」という、そういう認識が広まったんじゃないかと思いますね。
桑瀬: なるほど、当時は海外と比べるとどう考えても株の価格が高すぎる。価値から大いに乖離してるっていうことに、世界のみんなが気付いちゃったっていうことなんですかね。
岡本: 世界のプロはみな非常に高いと思っているから、積極的には日本株を買わなかったんですよね。だけど、日本の人たちも海外の分析手法が少しずつ浸透していくことによって、いくらなんでもこれはちょっと高すぎるのじゃないかっていう。そういう気持ちも一方で出てきた。だけど、現実には相場が上がっているから、だからできるだけ短期でサッと買って、ちょっと儲かってサッと売っちゃうみたいなね。そういう風になっていた。
ある意味、価値評価基準がグローバル化してきたってことはあると思うのです。私も日本の証券会社では証券アナリストとかストラテジストっていう仕事をさせてもらっていましたから、海外の機関投資家を回りながらマーケットに関する議論をしていたわけです。そういう機会を与えてもらったこと、アメリカで経験したことを踏まえて日本のマーケットで仕事をして、そして海外の彼らと会話をしながらお互いに意見を交換し合う。本当にそういうチャンスが与えられたことに対してものすごく感謝していますよ。
1990年にアメリカの資産運用会社に転職をしました。日本法人を設立するのでその会社の社長となったのです。この会社でも、すごく多くのことを学ぶ機会を与えられました。最先端の企業経営のあり方が全然違う。会社経営も資産運用の手法もまったく違う。企業経営と資産運用の両方とも学びつつ、このままでは日本は本当に二流国になってしまう。すごく強く思ったのですね。
私が転職を心の中で決めたのですが、一番心配したのは私の部門の部下たちのことでした。彼らは私が学んだ手法に従って一生懸命、基礎を勉強してレポートを書いてくれているのです。少なくとも私がこれまで学んできた証券分析の手法を後輩たちに残しておきたいと思って、退職に際してそれを小雑誌にして自費出版したのですね。80ページぐらいの小雑誌でしたけどもその本を「勝者のゲームを戦う法」という書名にしました。
その小雑誌が東洋経済出版社の目に触れたんです。そしてその出版社から「本にしませんか」ということでアプローチがあったのです。株式分析の実践技法に加え、さらに「勝者のゲーム」と戦う人たちという章を追加して本が出来上がりました。私が転職した1990年の本です。さらにこの追加した章が非常に好評でしたので書いたのが「長期投資道」という本でした。2009年のことでした。「長期投資道」で「勝者のゲームを戦う法」という名前にしました。それを桑瀬さんが読んだというわけです。
桑瀬: 長期投資「道」というタイトルもすごいいいですよね。長期投資道って柔道とか剣道とかの道みたいなイメージでかっこいい。あと先生、黒船だったんですね。私だけではないと思うけれども、多分そういう要素はあったと思いますね。
岡本: 周りの人から「あいつ変なこと言っているな」とかね。「日本のマーケットはそんなもんじゃないよ」っていうような声はすごくありましたからね。だけど、やっぱり目が世界の方に開けていると、「いや、そんなことはない。いずれ日本だって変わるのだ」っていう気持ちもありましたよね。やはり、「合理性」のあることは必ず起こるというような信念はありました。
桑瀬: だから先生、この本の中でも「グローバルな目を持った方がいいよ」、みたいなことをおっしゃっているのですね。さっき紹介したロクスケさんが岡本先生の著書に出会ったのが、まさにこれが出版された2009年。これってリーマンの時ですよね。リーマン・ショックの時で今回、私が先生のこの本に出会ったのが、半導体バブルみたいな大相場って言われていて、もっと遡るとそれこそ日本のバブル崩壊みたいな。
岡本: 私が長期投資道を書いた一番のポイントは、いかに達人たちが苦労して彼ら独自の投資哲学に到達したかを知ってもらいたいということがあります。しかしそれは彼らが一生をかけて到達した彼ら自身の手法です。それを表面だけ真似してもうまくいくわけはない。ですから今は一般の生活者の皆さんが資産形成をするなら「グローバルな低コストのインデックス投信にひたすら積立投資しなさい、そして決して休まず継続して20年は続けなさい」ということをオススメしています。いくら株が好きでも、いくら勉強しても皆さんがバフェットさんになれる訳ではない。それより私が提唱している「75文字の資産運用*」でよいのです。
*:75文字の資産形成
できるだけ若いうちから毎月、収入の一定比率を全世界の株式インデックス投信に積立投資をする、相場変動にかかわらず、それをリタイアするまで絶対に止めない。
逆説的になりますが普通の人が急に達人になれる訳がないのです。そして残念なことにホンモノのアクティブ運用者が日本には非常に少ない。アクティブ運用者が活躍してくれてこそ市場の効率性が保たれるわけです。それで日本にホンモノの資産運用やアドバイザーのプロを育てようということで2019年に設立したのが「特定非営利活動法人 みんなのお金のアドバイザー協会~FIWA®︎」です。今は長年、私のセミナーに参加してくれてきた岩城みずほさんが理事長を務めてくれています。質の高いアクティブ運用者と幅広い流動性を提供するインデックス運用者がいてこそ、効率的な価格発見機能を持つフェアなマーケットが成立するのです。まだ「道半ば」ですが適切なアクティブとインデックスのバランスこそ大切だと思っています。
桑瀬: 今日はここまでですね。次回は先生が印象に残る達人の思想などをお話しいただけるのですね。楽しみにしています。



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